ROTATE

4/21
仕事が終わった瞬間に頭のなかで駅構内の混雑したイメージが浮かび上がり、それから逃れるために家まで可能な限り歩いて帰ろうとすることが増えた。しかも最短経路を選ばず、なるべく通ったことのない道を歩くのだからやたらと時間がかかる。そして途中で体力が尽き、適当な駅から電車に乗る。このような習慣のせいで幾つものVANSを破壊してきた。周囲の音が聞こえづらくなることへの怖さがあるので、歩いている最中に音楽を聴いたりはしない。自動車や自転車が後ろから近づいてくる音とか、そういったものをなるべく確実に耳で拾って把握しておかないと、いつか俺は轢かれてしまうんじゃないかと思うのだ。
少し俯き気味に、黙々と歩く。安全のために前方への注意も維持しつつ、同時に、落ち葉が踏まれて砕ける様子などを視界に収めながら、曖昧な考えごとを続ける。
こうした歩き方とは対照的に、俺の知り合う人たちには空を見上げる癖の持ち主が多い。ある人は夜空から星座や月の満ち欠けの名称および周期を俺に教えてくれたし、またある人は雲の動きからその日の天気がどのように変化するのかを教えてくれた。天気の変化に関しては予報アプリを上回る精度だったので驚いた。冗談で「気象予報士?」と尋ねてみたが、彼女がそれに対してどのような返答をしたのかは思い出せない。多分だけど俺は滑っていた。

4/22
自転車を修理に出した。夕方には作業が完了するとのことだったので時間を潰すために本屋へ向かう。『サキ短編集』(新潮文庫)を購入。その後、久しぶりにスロットをやった。マイジャグラーVである。2000円でビッグを1回当てたが、それ以降は何も起きなかった。自転車を受け取って帰る。

4/23
昨日買った短編集を読み終える。サキの作品を読むのは初めてのことだった。「セルノグラツの狼」という短編が収録されていて、そのなかにこのような台詞があった。

(前略)おもい出しか持っていないものは、その憶い出を特別大切にまもり、そっとしまっておくものでございますよ(後略)

書いては消してを繰り返してきたので、2023年4月現在、このブログには記事があまり残っていない。この台詞が目に入ってきたとき、数週間前に消した記事のことを想起した。その記事を消して良かったとも、消さなければ良かったとも今は思わない。

次はいつ会う

気長に構えるしかないとは思うが、諸々の問題にはタイムリミットが付いて回ることも実感しつつある。

少年期の話をしよう。あのころの私はいまの私よりもかなり熱心にビデオゲームをプレイしていたし、そうすることで感じ取った情景というものは思い出としていまでも残っている。私がその類の思い出について述べる際には『スーパーマリオサンシャイン』から始めるのが適切かもしれない。私自身が何世代にあたるのかというのならばWii世代であるが、親から兄に買い与えられたニンテンドーゲームキューブが家にずっと置いてあった。したがって地元のゲームショップで安くなっていた『スーパーマリオサンシャイン』を私が小遣いで買い、プレイし始めたことはそう変な話でもなかったのだ。もちろんWiiのソフトも好きだったが。

理不尽なレベルデザインにイラつく場面も少なくはなかった。しかしプレイ中に時折流れるメロウな空気の虜になっていった。やがてシレナビーチというステージでその空気は一気に濃くなった。マンタが厄介であることには目をつぶってほしい。私が述べたいのはマンタを倒してから訪れるホテルについてだ。館内には亡霊たちが住み着いており、ロビーでも楽しそうに浮遊している。照明は薄暗く、ハワイアンミュージック風の曲が流れている。まさにメロウだ。私の抱く南国への漠然とした憧れのなかには、ビデオゲーム由来の部分が間違いなく存在する。

あのころの私にはある同級生がいた。彼は熱心にMMORPGをプレイしていて、私と同じようにビデオゲームのグラフィックやBGMから(彼自身にとって大切な)情景というものを感じ取る人間だった。いまでも彼とは数ヶ月に一度ほどの頻度で会っている。この前は魚料理を食べに行った。騒がし過ぎず、静か過ぎず、適度に賑やかな店内。彼と一緒に来店するのは初めてだった。料理が提供されるまで近況報告のような会話をして待っていた。それによると彼の留年は殆ど確実らしい。これで彼が何度目の留年を迎えるのかについて、私はうろ覚えである。こちらも相変わらず仕事は辞めたいし、将来性や安定などの言葉から出来る限り目を背けて生活しており、つまり私には私なりの、彼には彼なりの問題があるというわけだ。白身魚は結構旨かった。私たちがこんな状況でもそれなりにヘラヘラしていられる性分なのは、一種の救いであると考えることも可能だ。もしくは致命傷であると考えることも。地元のゲームショップは廃業し、取り壊されてから十年以上経っている。

17時20分から

新しいスニーカーを履き慣らすため散歩に出掛けた。歩きながら考えていたことは主にふたつで、ひとつは日照時間の変化について、もうひとつは返信の仕方を決めかねているメッセージについてだった。たしか2時間ほど歩いたと思う。中華料理屋で餃子を食べ、ビールを飲んでから家に帰った。若干の風が吹きつつも天気は穏やかに感じられた。
気まずいやり取りの後に眠ったら夢のなかでも似たようなやり取りが続いたりして、分かりやすい閉塞感が脳内に漂う。目が覚めたらどの辺りまで現実なのかを確認して、安心、あるいは後悔する。それはそれとして空腹が訪れる。少なくとも俺の場合は。
生の豚肉が無かったのでベーコンを焼く。熱で脂身が溶けゆく様からはスタインベックの短編が思い出されるが、白菜・ネギ・刻みニンニク・ごま油・塩・胡椒・醤油・水を加え、最後に片栗粉でとろみをつける。中華料理が好きなのだ。

去年の日記

 

別のところで書いていたものをここに移動させる。

12/15
レンチンまたは湯煎で温めるタイプの五目炊き込みご飯を初めて食べたが、想像していたよりも味付けが薄かったのでよく考えずに焼き肉のタレをかけ、結果的に出汁の風味等はすべて消滅した。

12/16
家で午後7時くらいまで酒飲んで、寝て、午前3時くらいに目が覚めて、また酒飲んで寝た。

12/17
『ザ・ベイビー/呪われた密室の恐怖』というホラー映画を観た。序盤、「ベイビー」の育てられている家の中へと向かうシーンにて、主人公であるソーシャルワーカー役の女性が、玄関からリビング、寝室にかけてのカットでパステルブルーの服を、続いてキッチンでのカットでオレンジの服を、再びリビングでのカットで白い服を着ており、その後に「今週はもう3回もうちに来たでしょ」と母親役の台詞が入る。「ベイビー」の家族たちが着ている服も変化しており、主人公による1〜3回目までの訪問をコンパクトにまとめる構成となっていた。短い映画が好きだからこういうのはありがたい。

12/18
11月に起きたことの受け止め方が定まらないまま日数のみが経過している!

12/21
上司と昼飯へ。
店に着いてから吐き気がしてきて、そういえば二日酔いであったことを思い出す。
軟骨の唐揚げ、おでん、ブルダック、レモンサワー500缶×1、発泡酒500缶×2、あと(これについてはどれくらい飲んだのか忘れたけど)ウイスキーロック。昨晩は確かそんな感じだった。
自分の体調すらうろ覚えなのかよとか考えていたら料理が来た。ランチセットには味噌汁が付いてくる。幸いにもこの味噌汁のおかげで体調はいくらかマシになった。

12/22
知らねーよって気持ちで過ごしている。偶然が多すぎる。昨日書いた味噌汁云々のどうでもいい話に限らず、もっと広い範囲において。