次はいつ会う

気長に構えるしかないとは思うが、諸々の問題にはタイムリミットが付いて回ることも実感しつつある。

少年期の話をしよう。あのころの私はいまの私よりもかなり熱心にビデオゲームをプレイしていたし、そうすることで感じ取った情景というものは思い出としていまでも残っている。私がその類の思い出について述べる際には『スーパーマリオサンシャイン』から始めるのが適切かもしれない。私自身が何世代にあたるのかというのならばWii世代であるが、親から兄に買い与えられたニンテンドーゲームキューブが家にずっと置いてあった。したがって地元のゲームショップで安くなっていた『スーパーマリオサンシャイン』を私が小遣いで買い、プレイし始めたことはそう変な話でもなかったのだ。もちろんWiiのソフトも好きだったが。

理不尽なレベルデザインにイラつく場面も少なくはなかった。しかしプレイ中に時折流れるメロウな空気の虜になっていった。やがてシレナビーチというステージでその空気は一気に濃くなった。マンタが厄介であることには目をつぶってほしい。私が述べたいのはマンタを倒してから訪れるホテルについてだ。館内には亡霊たちが住み着いており、ロビーでも楽しそうに浮遊している。照明は薄暗く、ハワイアンミュージック風の曲が流れている。まさにメロウだ。私の抱く南国への漠然とした憧れのなかには、ビデオゲーム由来の部分が間違いなく存在する。

あのころの私にはある同級生がいた。彼は熱心にMMORPGをプレイしていて、私と同じようにビデオゲームのグラフィックやBGMから(彼自身にとって大切な)情景というものを感じ取る人間だった。いまでも彼とは数ヶ月に一度ほどの頻度で会っている。この前は魚料理を食べに行った。騒がし過ぎず、静か過ぎず、適度に賑やかな店内。彼と一緒に来店するのは初めてだった。料理が提供されるまで近況報告のような会話をして待っていた。それによると彼の留年は殆ど確実らしい。これで彼が何度目の留年を迎えるのかについて、私はうろ覚えである。こちらも相変わらず仕事は辞めたいし、将来性や安定などの言葉から出来る限り目を背けて生活しており、つまり私には私なりの、彼には彼なりの問題があるというわけだ。白身魚は結構旨かった。私たちがこんな状況でもそれなりにヘラヘラしていられる性分なのは、一種の救いであると考えることも可能だ。もしくは致命傷であると考えることも。地元のゲームショップは廃業し、取り壊されてから十年以上経っている。